儲かるかどうか

最も気になるところ

最後になるが、そもそも一口馬主と呼ばれる人は本当に利益を獲得できているのかということだ。これについては何とも言えないが、やり方次第によっては儲けを出す事はもちろん可能となっている。それに付いては先に述べておくが、逆にいうと勝つ人が負ける人もいる。この二極化された立場へ、確実に分断されるわけだが、これが正式な馬主になるとまた話が違う。

先に紹介したように、正規の馬主として登録されていると参加したレースに応じた手当て、ならびに規定の順位で入賞することが出来れば少なくとも全くの0円ということはない。ここがやはり大きく違うところだろう、一口馬主の怖いところでもある反面、やり方と賭け事にある種才能を持っている人からすれば、年間多額のプラス収支を記録するが、大半の人は全く正反対の損ばかりしているケースが圧倒的に多いと思う。そうしたことも含めて考えると、一口馬主をやって本当に儲けがあるかだが、大半は負けることを覚悟しなければならない、そう考えた方が良い。

競走馬の血統

税金という面でも

一口馬主という新しいシステムには国の、特に金融庁が目を付けているところだという。それもそう、ギャンブルで得たお金を不正に計上しないで懐に納めようと企む人は少なくない。また一回につき莫大な金銭の流れが発生することも十分にあるため、その流れを見逃すはずない。誕生したばかりの当時は参加した人々は馬主として収益を確実に刻んでいたと思うが、その流れは金融庁から見れば健全な流れとは言えないだろう。

そのため投資家目線からとして税制度が色々と改変されている、それによって本当なら儲けているはずなのに税金が関係してくると儲けなんて微々たる物になってしまったと悩んでしまっている人もいるはず。詳しい事はいざ知らず、投資家として一口馬主を行うことで多大なメリットが得られるという仕組みは既に存在していないというべきだろう。

ギャンブル性が強いのはもちろんだが、投資家として考えれば堅実に活動していけるほど楽な世界ではない、それだけは間違いない。

どの部分に軸足を置くか

一口馬主には競走馬に関する権利も少なければ、収支的な意味でも税収によって大幅に損をしてしまうこともある、通常の馬主と比べれば長く続かずに辞めてしまう人も多いだろう。ただそうした人達の共通点は、何といっても『お金を稼ぐ』に少しばかり固執しているところだ。確かに色々な側面で競走馬に対して愛着をもてないデメリットがあるのかもしれないが、そもそもこの一口馬主という制度を純粋な意味での『投資』として見るべきではない。どちらかというと一口馬主とは『投資と趣味の中間地点に存在している』という、少し浮き足立っている存在だと認識してもらいたい。

その証拠として、一口馬主をしている人達が『どの点を楽しみにしているか』が、決定的な差を生み出しているだろう。『難しい株をするより競馬で儲けを得る』という観点で楽しみとするのと、『大好きな馬と少なからず接することが出来る中で、投資という不安に駆られながらも楽しみたい』では、後者の方が長続きするだろう。前者はもはやお金という金銭面を優先順位に持ち上げてしまうため、リスクヘッジの高い一口馬主は割に合わないと思うまでに時間は掛からない。

楽しいと感じる瞬間もあるかもしれないが、やはり馬そのものを楽しみとしているか否かで、継続して馬主をしていけるかどうかは明暗を別つ。正規の馬主にもいえることだが、最初からお金儲けを目当てにしていては、おそらく勝てるレースも勝てないまま損失を増やしていくだろう。勝負に勝ち、苦難を乗り越えながらも競走馬を見守り続けるのとでは愛情の注ぎ方は一目瞭然、違ってくる。

競馬というとどうしても儲ける、お金がほしいと考えがちだが、それはギャンブラー思考であって、馬主向きではない。競馬が好きという人はただギャンブルから得られる快感を求めているだけで、馬主として競走馬を育成し、勝負に勝っていく価値観は納得できないだろう。どちらも勝負師だが、根底に馬への確かな思いがなくては馬主など務まらない。思うところはあるかもしれないが、馬主という業界はギャンブル競馬とは違う意味で一線を画した世界となっている。

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正規の馬主との違い

是か非か決めることは出来ない

本質的な馬主の意味からすれば、一口馬主のことを邪道だと、本当の意味で馬主ではない、馬を金儲けの道具としか見ていないと嫌悪している馬主オーナーも当然いるはず。その意見については否定できない。この一口馬主は馬を育てていくという性質から離れていて、さらに実際の馬と頻繁に触れ合うこともないままただレースに勝てば配当金を受け取っているだけの構図だ。愛好家にしてみれば生き物を何だと思っているんだと遺憾だと主張する行為に関しては、筆者は肯定もしなければ否定もしない。

ところがだ、競馬はギャンブルとして分類されている、それ自体金儲けをする手段だと述べる人の意見も間違っていないだろう。だからこそ一口馬主を絶対悪だと断罪することも出来ないのも確か、ただ正規の馬主と比べたら確かに出来る事は限りなく少ない。中央や地方で正式に馬主になる人々はそうした権利を金銭的に勝ち取っている、言い方は悪いかもしれないがおおよそ合っているだろう。そうなってくると一口馬主のくせにという言い方も出来なくなるが、やはり馬主と一口馬主では大きな差異を生み出してしまっている。

競走馬の血統

一口馬主に出来ないこと

色々な意見が殺到しているだろうと思われる一口馬主についてだが、正規と比べたら出来ないことも沢山出てきてしまう。代表的なのは馬におけるあらゆる意味での決定権が得られないというところだ。競走馬として成育されている馬達は、基本的に馬主の意見に基づいて飼育されていく。これもまた厳しい条件をクリアした馬主ならではの特権といえるが、一口馬主にはそうした馬単体に対してのあらゆる意味における意思決定する権利が何処にもない。

この際における意思決定とは具体的に何を意味しているかだが、それは次のようなものだ。

  • ・馬の命名権
  • ・調教師への指示
  • ・現役引退するかどうか

どれも馬主の権利としては持っていたいと思うが、個人で所有しているわけではないためまずこれらの権利を有していないことを覚えておく必要がある。命名権にしても、調教師への指示にしてもだが、現役引退という花形を決める権限を持ち合わせていない。

そのため感情移入したくても、権利がないためあまり実感が沸かないという人も出てくるだろう。勝負の世界から引退する瞬間を決めるのは馬主にとってはあまり嬉しいことではないかもしれない、ただこれまで懸命に育成してきた過程や様々な思いがこみ上げてくる、といったこともあまり味わえない。一口馬主にももちろん所属しているクラブの競走馬を見守ることは出来る、それこそ幼少からも出来るが、手塩にかけたというわけではないため得られるものは違う。肩身が狭く感じられるが、一口馬主だからといって出来ない事ばかりではない。

馬と直接邂逅するこも出来る

逆に一口馬主に出来ることはないのかと考えると、それはもちろんある。代表的なのは実際に競走馬と会うことも可能ということだ。所属するクラブにもよるが、そのクラブが自宅から最寄、訪れることが出来る距離程度であるなら、牧場見学などの機会に馬がどのように飼育されているかを知ることが出来る。

また最近になって認められるようになったのが、『口取り式への参加』が出来るようになったことだ。こちらも公募性となっているため必ずしも参加できるわけではないが、参加できるようになっただけでもまだ良い方だ。正式な馬主でなければ式典に参加することも認められないとされていたが、せっかく投資している馬の雄姿を間近で確認したいのは誰でも同じなはず。

本当の意味で馬主を体験する事は出来なくとも、馬に対しての愛情が強ければ少ない機会を見つけては競走馬の様子を伺えるようになった、それだけでも一口馬主たちにとっては状況が好転しているといえる。

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