是か非か決めることは出来ない
本質的な馬主の意味からすれば、一口馬主のことを邪道だと、本当の意味で馬主ではない、馬を金儲けの道具としか見ていないと嫌悪している馬主オーナーも当然いるはず。その意見については否定できない。この一口馬主は馬を育てていくという性質から離れていて、さらに実際の馬と頻繁に触れ合うこともないままただレースに勝てば配当金を受け取っているだけの構図だ。愛好家にしてみれば生き物を何だと思っているんだと遺憾だと主張する行為に関しては、筆者は肯定もしなければ否定もしない。
ところがだ、競馬はギャンブルとして分類されている、それ自体金儲けをする手段だと述べる人の意見も間違っていないだろう。だからこそ一口馬主を絶対悪だと断罪することも出来ないのも確か、ただ正規の馬主と比べたら確かに出来る事は限りなく少ない。中央や地方で正式に馬主になる人々はそうした権利を金銭的に勝ち取っている、言い方は悪いかもしれないがおおよそ合っているだろう。そうなってくると一口馬主のくせにという言い方も出来なくなるが、やはり馬主と一口馬主では大きな差異を生み出してしまっている。
競走馬の血統
一口馬主に出来ないこと
色々な意見が殺到しているだろうと思われる一口馬主についてだが、正規と比べたら出来ないことも沢山出てきてしまう。代表的なのは馬におけるあらゆる意味での決定権が得られないというところだ。競走馬として成育されている馬達は、基本的に馬主の意見に基づいて飼育されていく。これもまた厳しい条件をクリアした馬主ならではの特権といえるが、一口馬主にはそうした馬単体に対してのあらゆる意味における意思決定する権利が何処にもない。
この際における意思決定とは具体的に何を意味しているかだが、それは次のようなものだ。
- ・馬の命名権
- ・調教師への指示
- ・現役引退するかどうか
どれも馬主の権利としては持っていたいと思うが、個人で所有しているわけではないためまずこれらの権利を有していないことを覚えておく必要がある。命名権にしても、調教師への指示にしてもだが、現役引退という花形を決める権限を持ち合わせていない。
そのため感情移入したくても、権利がないためあまり実感が沸かないという人も出てくるだろう。勝負の世界から引退する瞬間を決めるのは馬主にとってはあまり嬉しいことではないかもしれない、ただこれまで懸命に育成してきた過程や様々な思いがこみ上げてくる、といったこともあまり味わえない。一口馬主にももちろん所属しているクラブの競走馬を見守ることは出来る、それこそ幼少からも出来るが、手塩にかけたというわけではないため得られるものは違う。肩身が狭く感じられるが、一口馬主だからといって出来ない事ばかりではない。
馬と直接邂逅するこも出来る
逆に一口馬主に出来ることはないのかと考えると、それはもちろんある。代表的なのは実際に競走馬と会うことも可能ということだ。所属するクラブにもよるが、そのクラブが自宅から最寄、訪れることが出来る距離程度であるなら、牧場見学などの機会に馬がどのように飼育されているかを知ることが出来る。
また最近になって認められるようになったのが、『口取り式への参加』が出来るようになったことだ。こちらも公募性となっているため必ずしも参加できるわけではないが、参加できるようになっただけでもまだ良い方だ。正式な馬主でなければ式典に参加することも認められないとされていたが、せっかく投資している馬の雄姿を間近で確認したいのは誰でも同じなはず。
本当の意味で馬主を体験する事は出来なくとも、馬に対しての愛情が強ければ少ない機会を見つけては競走馬の様子を伺えるようになった、それだけでも一口馬主たちにとっては状況が好転しているといえる。
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